いいことしたんだからツイッターで拡散しろよ!
ああ!もう無愛想ブスになりそう!!!
こんばんは。これを見ているあなたが朝に1日のスタートを切ろうが、夜にまもなくベッドで爆睡なのかは構わずこんばんは。
突然ですがどうしようもなくやる気が出なくて目の前のものぜーんぶ投げ捨てて
とりあえず家に帰って頭すっからかんにして阿呆な顔でゴロゴロしたい!!!てときありません?
少なくとも私は1週間に2回くらいはあります。
特に不機嫌でもニコニコしてホットコーヒーを出さなくてはならないバイト中に訪れます。
もちろんお客さんに罪はないし、第一にそのお店で働かせていただいてるのだから少なくとも平均の顔面が平均以下のブスっとした表情で働くわけには行きません。でもそんな時いつもブスっとした私はある秘策を投じます。
その名も「週刊誌泣かせのイイ奴すぎる芸能人作戦」
芸能人の裏の顔を暴こうと日々奔走する週刊誌記者さんが地団駄を踏んで悔しがるほど裏の顔もイイ奴を演じます。
つまり、自分はみんなの憧れの存在、常に上を向いていなければ!!と言い聞かせて笑顔を振りまくのに全力を投じます。記者さんに悪いこと書かれたらたまらないですから。
けれども心の中ではしんどい!帰りテェ!いいことしてんだからツイッターで拡散しろ!と時たま叫んでいるのはトップシークレット案件です。
これは結構効果ありますよ。まあ、個人的に人に接する時の態度はそのまま相手にも反映するって思ってます。相手は自分の鏡。もし相手の態度や言動に不快を抱いたならまず自分を見直してみるといいかも!といつも思ってます。
おやすみ
寂しいなんて言わせない!一人デートとは?
とうとう彼氏の出来ない長い修行期間に耐えかねて
こいつは悟りを開いたのか?
と思われそうですが
決してイケメンのフィギュアを持ち歩いて話しかけているわけではありません。
では、痛くない!寂しくない!狂気じみてない!
一人デートとは???
一人デートとはズバリ自分とデートすることです。(やばいって聞こえたけど今は無視しますね。)
今日も大雨で学校がなく、ベットとyoutubeを餌にするナメクジ大学生しようと思ったんですがさすがに2日間もそうしてると世間に置いていかれそうな危機と家の空気ばっかり吸っていると自分の吐いた空気を何度も吸ってるみたいで息苦しさを感じたので
強風の中外に出てフラフラしてこようと思い立って家を出ました。
なんせ家2日ぶりの外!やっと自分が吐き出した二酸化炭素じゃない空気が吸える!ってズンズン歩みを進めました。
特に予定を決めてなかったので自然と自分に何したい?何が食べたい?何見たい?って
問いかけながら街を歩いてました。
そんな時ふと思いました。
こうやってたまには5歳児の子供にするみたいに、何がしたい?って問いかけてあげて自分を大切にするの悪くないな〜って。
自分がやりたいこと全部聞いてあげて、制約なしに全力でおもてなししてあげる日。
何も考えてなかった時だからこそ自分にとっての小さな幸せの願望が自然と湧いてきて
こんなことで私幸せ感じれるんだ〜って思ったりしました。
あと、普段の自分は幸せに欲張って条件つけすぎて、せっかくの幸せを小さくしてるのかもなとも感じましたとさ。
本屋で新刊が欲しかった私のご要望を聞いてあげたあとはちゃんとキャラメルマキアートを買ってあげてスタバにほりこんでインターンのESを書かせました。
ナメクジ女子大学生の日常
梅雨も終わって、やっと夏がやってきましたね!
ってテレビの人が言ってたのになにこの大雨、しかも警報!!!
そんな時は自宅で雨の日のナメクジに負けないくらいゴロゴロしてやろう!!
今日行くはずだった就活のGDセッションで意識高い系に揉まれて
半泣きになる予定だったのにナメクジとしてベットで
本読んだりたまに亡霊さながらにボウ!って起き上がって
アイスコーヒー飲んでレポートやるぞ〜!と虚言を放って
YouTube大会を開催してました。
ところで
ツイッターを開いてスクロールした時に新しいタイムラインが出てこなかった時って
私って今この瞬間、世界一の暇人なのかなと思いません?(笑)
少なくとも私はそう思って急いでツイッターを閉じてインスタを開いて
他に何か投稿している人を見て、セーフ!世界で5番目くらいかな!って落ち着きます。
そう考えると、スマホくんって何もかも教えてくれているようで
何も教えてくれないなと感じる。
スマホくんは自分が繋がってない場所の情報をたくさん持ってるけど
それをあなたにとってどんな意味があるのか、また悪いことか良いことかさえ教えてくれない。
ただ受動的にあなたの打つ検索ワードに従って情報を明け渡して
人と人を繋げたり。悪い人かもしれないのに。
スマホくんって、優秀で絶対裏切らない反面、
自発的に考えれないゆとり的なところがあって本当は仕事のできない人なのかな。
スマホくんとちょっと距離を置いて、付き合い方考えてみるのもいいかも。
とこんなことをピーちゃん(愛犬)とゴロゴロしながら思ってました。
さあ、レポートするぞ〜!(虚言癖)
ラスコーの洞窟の壁画とPC上のブログは実は同じ。
2万年前の旧石器時代のクロマニョン人と
2018年の女子大生は全く同じことをしてる?!
旧石器時代といえばイメージ的に半裸で野山を駆け巡ってマンモスを見つけると
一目散に走ってウホウホ喜ぶ野生的な一面も持ちつつ、その辺のどんぐりとか石ころを宝物とか言っちゃうかわいい面も持つ奴らが溢れてる感じ。
ただのイメージなので実はずっと洞窟から出ないインドア派だったのかもしれないです。(多分全部違う)
一方、2018年に生きる女子大生の私はマンモスを見つけると赤信号であろうと一目散にスマホで撮影する野生的な面もその写真を投稿してインスタのいいねの通知を待つかわいい面も持ってます。
つまり何の共通点も見えないこの両者が何故同じとか言ってるんでしょう、このブログは。
その理由を探るのにラスコーの洞窟壁画についてちょっとお勉強します。
ラスコー洞窟壁画は現在知られている最古の芸術作品で、どの基準で新人なのかわからないですが通称 新人(:クロマニョン人)によって約2万年前に洞窟の壁に描かれた動物や人間の壁画。
きっとだだっ広いコンビニの駐車場がたくさんある田舎よりもさらに広大な野原が目の前に広がっていた2万年前にどうしてそんな狭い洞窟なんかに絵を描いたのか。
えらい学者さんたちによると、
動物の絵を非常に正確に描くことで、動物たちを
自分の思い通りにしたり、数が減った時には増やしたりできると思い込むためだそう。
ちょっと呪術的で厨二病マインドが垣間見れない気もしないけれど
これは2018年にMacでカタカタとブログを打っている自分と同じなのでは?と
思いました。
文字を使って自分が思っていることをじっくり正確な言葉を当てはめて行って
可視化することで一時期の感情の迷いだったの?とか結局自分はどうなの?とか思う微妙なラインの将来の悩みだったり、些細なイライラの要因が
すっと自分の中に整理されて把握できるようになる。
それまでモヤモヤだったものが目の前で漢字になってひらがなになって
文章として現れてくれる。
2万年前のクロマニョン人さんはこれを伝えようとして書いたんじゃないと思うけど,,,,,。
クロマニョン先輩!勉強になりました!!
お金持ちはお金のことがわからない
お金持ちってお金をたくさん持ちすぎて
もうそのたくさんがどのくらいか
把握しきれなくなって
実像が掴めなくて
その実像を掴むために、それが存在するって
実感して安心したいがために
そのお金をモノに変換して
どんどんそのモノで自分を囲うのかな
そうするうちに
判断基準がモノになっちゃって
ひとを判断するにもモノを見るようになっちゃうのかな
お金持ちになった方は是非教えてください
アビアント
好きな音楽はデスメタルです!
8歳の頃からインターナショナルスクールに通っていて英語とフランス語ができます。
趣味は幼稚園から続けているバレエで、コンクールで何度も入賞を果たしました。
また、高校では3年間生徒会長を勤めあげました。
好きなマンガは冴えないヘタレな男の子が突然デスメタルの世界でクラウザー2世として卑猥極まりない行為を繰り返していくデトロイトメタルシティーが好きです。カラオケではそのマンガの映画化された歳の劇中歌SATSUGAIを熱唱します。
一言で言うとわたしはこんな人に惹かれます。
森 絵都著「カラフル」
「不朽の名作!10代が終わるまでに読んでおきたい作品No. 1!!」
20歳の私はもう10代ではないという事実を再認識しつつも、なんだかチャンスを逃したみたいで悔しかったので反射的に手にとってしまったこの作品。要するにうまいこと乗せられた。たった25文字に行動を促された。25文字の勝利!
あらすじ(簡略化してます)
生前の罪により、輪廻のサイクルに外された魂が天使によってそのサイクルに戻るための再挑戦のチャンスを与えられる。だが、幾分生前の罪が重かったのか、その魂は自殺を図った中学生の少年、”小林真”の身体にホームステイして前世の自分の罪を思い出さなければならなくなった。真として過ごすうちに魂は人の欠点や美点が見えてくるようになるが.......
「この大変な世界ではきっと誰もが同等に傷物なんだ。」
これは真の体を借りた魂が発したセリフ。
不倫をしていた母親、虚栄に満ちた父親のカッコ悪い姿、好きな女の子の援助交際現場などたくさんの人間の醜い部分を見て、信じていたものが一気に覆され自分の生きる世界のバランスが崩れた真だったが、真ではない魂が自由にその大変な世界を動き回ることによっていろんな人間の真の部分が見えてくる。
生きていく中でたくさんの理不尽な状況や不運に出くわした時に絶望で自分の生きるこの世界から目をそらしたくなる瞬間は少なからずあると思う。
その時思い出したいのがこの言葉。
自分だけが神様にいじわるされて、この世の不幸を一身に浴びさせているのではなく
生きていく上で最低限必要な試練をみんな平等に与えられている。
それは一生分!?と思いくらいの量が一気に襲いかかることもあるし、ちょくちょく降りかかることもあるかもしれない。
けど決して神様の集中攻撃ではなく、朝の電車のぐったりしているサラリーマンもテレビで楽しく笑う美人モデルもみんな同等に最低限の不幸が与えられ、傷ついている。
その中でいかに自分で自分を縛らず自由に動き、しぶとく生き抜くことが大切だなと思った。
生きると言うことはゲームみたいに簡単にやり直せないし、一つ一つが自分の選択と思うとこの先が怖く感じることもたまにある。
けど魂のように自由に動き回って周りのものから不条理回避のヒントを必死に探し、自分の不甲斐なさをボロクソに叱って泣いたり、苦しんだりしてもなお、カラフルすぎて目がチカチカするようなこの大変な世界で色にまみれて生きることの素晴らしさである。
おまけ
難しいこともう書くの無理ー!!!
ってなって最終的に伝えたいのは
この作品を読むと人のことが大好きになります。
人はみーーーーんな、この世界で丁寧に計画されて作り出されたかけがえのない存在なんだな!!!!!って思う!!!!
以上。(雑)