参考書を読む高校生が眩しく見えたら、「バカボン」が足りない時。
バカボンにそろそろ会わないと。
お久しぶりです。1ヶ月ほど更新をサボりすぎてブログのテンションをわすれそうです。
1ヶ月で人ってそんなにかわらないだろうと思ってても前回のブログを読むと同じ状況でも感じることは変わってんだなとか思って改めて文章に残す大切さを知りました。
サボってよかった(無理やり)
電車にて、今にも目が閉じてしまいそうな様子で眠気を助長する「センター古典単語」を読む苦行に耐える高校生を見かけました。
その子が愛おしいくて、同時にちょっと羨ましかった。
それは高校生って確実に褒めてもらえる手段があるし、それはじっとしててもひっきりなしにやってくるんだなあ。
別に定期テストばっかりやってて自分のやりたいことを考えない能天気高校生!とバカにしてるのではない。
彼らだって進路には悩むし、どんな参考書を使ってどんなやり方で他に勝つかとか、隣のクラスのイケメンに突然「お前、今日から俺の彼女な」って言われたらどうしようと本気で悩んでるかもしれない。
ちょっとバカにしたけど。
ただ、これさえやれば一定の社会的高校生の役割が果たせる基準があって
それはある意味存在が保証されているからこそ
自分の好きなことをとことんやったり、アホみたいに登下校で毎日笑えてたのかな。
だって、学校に行ってテストクリアしてたら社会的には仕事してるからね。
逆立ちしても水中の中でもやり方は問わないにしろ、本質的には教科書に書いてあることをやればいい。
学んだことをどう使うかはまた別の話だから、ここでは触れない。
でも、大学生になった途端
使う教科書も自分の社会的役割も何もかも自分で決めないとダメになった。
何で評価されるかも分からない、果たして自分は今のままで大学生としても義務を全うしてるのかも、これは正しい教科書なのかも分からない。
すきなことでも本当にそれが自分が今やるべきことかどうかなんて絶対分からないし、そもそも一人の人間がやるべきことなんてないと思う。
みんな必死に役割探してるだけだから。
そんな時によくナーバスな心に土足で踏み込んでくる言葉がこれ。
「自分でやると決めたことに責任を持て。」「想いが足りないから挫折するんだ。」
「無計画だから途中でやめるんだよ。」
私が一番欲しい言葉はそんなんじゃない。
「そっちでいいんだよ」
たまに、親切なことに周りの人はマイナス面もプラス面も
交えてアドバイスしてくれるけどそんなのはきっと壁に向かって言うくらいほぼ無意味。けどたまに意味あるってくらい。
だって、 日頃からガミガミ言うお母さんに『Do what you love, Love what you do(スティーブジョブス)』とか言われても『は??』てなるだけだし。
逆にジョブスに「21世紀はブラジャーが鍵を握る」って言われたらブラジャー作るかもしれない。
結局、話を聞く人さえも無意識に選んでるんだし。
ただアドバイスしてくれる行為には感謝する必要はあるけど(笑)
最後は、極論ぽくなったけど
「それでいいんだよ」って責任もっと言える大人になりたいなって思う今日のこの頃でしたとさ。
おやすみさない